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ゾーイーお婆さんはかわいそう? 

「サラとソロモン」から
日常に活かせる
ソロモン(エイブラハム)の教えを考察していきたいと思います。

さて、今日のお題は、「サラとソロモン」の136ページ。

タイトルは「ゾーイーお婆さん」

少女サラは「幸せの流れ」につながることが
かなり得意になってきています。

家ではお母さんの具合が悪くなっていることに
意識の焦点を合わせず、
自分の目の前にある事(お掃除すること)に
集中することで、「心配」という抵抗の波動を回避し
お母さんの病気を治したり・・・・

学校では
あれ程嫌っていた、ジョーゲン先生から
100点のテストを返され褒められたり・・・

「幸せの流れにつながる」って
とっても
かんたーーーーん!!
という気持ちを抱いています。

そう、
自信満々・・・・
なんだって引き寄せられちゃうもんね♪
という感じ。

そんな時に、
家の近くで暮らしている1人暮らしの
ゾーイーお婆さんと出逢います。

そのお婆さんは、
自宅の玄関の前の数段の階段さえ、
おぼつかない足取りで、よたよたと歩いています。

サラは「自分が年をとった時、あんなふうにならないといいな」と
思います。

そして、その思いからの感情のまま(波動が低い状態で)
「そうだ!幸せの流れをお婆さんに浴びせてあげよう!」と思い
そこにつながろうとしますが、できません。

いい気分になれないんです。

サラはお婆さんに感じていた感情・・・・
それは、

「かわいそう」

この感情って、

感受性が高く、人に対して共感力のある方は
とっても持ちやすい感情なのではないでしょうか?

サラはね。よくね。持ってしまうんですねー。

一般的には、それは
「優しさ」ととられがちな感情ですが、

誰かを見て、
その人の状態や、環境などから
この
「かわいそう」・・・という感情を持つのは、

実は
「あなたはかわいそうな人」という「認定」の印を
ばーーーんと押してしまうことになるのです。

だから相手は、その
「かわいそう」な状態から抜け出せません。

実際に本人は
自分のことを「かわいそう」って思っていなくても
「かわいそう」というあわれむ視線を向けられたことによって、
その人自身が繋がろうとしている
幸せの流れから、引き離されてしまいます。

幸せの流れは、
自分自身でしか繋がれません。

だから、ソロモンはサラに
こう言ってアドバイスします。

「これからいう事にどう感じるかに注意を払ってごらん」
サラが応えます「いいわよ」

「あのかわいそうな老女を見てごらん。ほとんど歩くことさえできやしない」


「うーん。それはすごく嫌な感じがする」

「ゾーイーお婆さんに、いったい何が起こるかわからない。階段を1人で登る事さえできない。
もっとひどくなったら彼女はどうするんだろう」


「私もそのこと考えたことがあったの。これもつながりを断ってしまう」

「ゾーイーお婆さんはしっかりしたお年寄りだ。独立していることが好きな人だと思う」

「うーん。その考えはずっといい感じがする」

「誰かが彼女の世話をしてあげようとしたとしても、多分彼女はそれを望ま菜だろう」

「その考えもずっといい感じがする」

「このお年寄りは充実した人生を送ってきた。彼女が不幸だという根拠は全くない」
「その人生から、きっと面白い話をたくさんすることが出来るにちがいない。
時々訪ねていって、何か聞いてみたい」


「それはすごくいい感じがするわ、ソロモン。ゾーイーお婆さんも喜ぶと思う」



相手を無気力なお年寄りと見ることもできるし、
相手を知恵の宝庫の年長者と見ることもできますね。


この会話のやり取りで、
ソロモンは
サラの思考をシフトさせ
サラの感情を「幸せの流れ」
つなぐ思考へと導いています。


「かわいそう」という感情は
実は、傲慢なのかもしれません。

自分はああはなりたくないという、不安かもしれません。

自分はあの人よりマシだという優越感かもしれません。

相手の可能性・・・に目を向けてあげることは、
自分も相手もポジティブに幸せの流れにつながる
秘訣なのですね。

パラリンピックで、あるインタビュアーが
車いすの選手に質問していました。
「あなたは(かわいそうな障害者で)車いすなのに
どうして体を鍛えたり、練習したりして大会にでようとするのですか?」

傲慢ですよね。
車いすのあなたは、障害者らしく、
かわいそうな人、不孝な人でずっといて下さい・・・・・ってか?(-_-;)

あなたが足がない車いすの選手だったらどう答えますか?
自分がゾーイーお婆さん、パラリンピック選手になったら・・・と
イメージしてみて下さいね。

きっとパラリンピックに出ている選手は
エイブラハムの教えの通りの答えに到達した人たち。

「そうしたいから、そうすることが楽しく喜びだから
そうすることで、同じ境遇の人たちを励ませたらと思ったから」

それはこういうことを意味しますね。
記録を競う集中力の中で自分自身とつながれるから、
無いものを考えず、
あるものを最大限生かし、その能力を発揮することにワクワクするから
そして私の姿を通して他の人を励ますことが、私がこの次元に生まれた意味かも知れないから」

エイブラハムの教え=ソロモンの教え
・・・・って
素晴らしいなって思います。

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