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聖書と「引き寄せの法則」のリンク的考察 

こんにちは!
サラです。

みなさんは、聖書を読んだ事がありますか?

私は、「引き寄せの法則」のエイブラハムの教えを
聖書とリンクさせて解釈することがよくあります。

純粋な信仰心をお持ちのクリスチャンの方には
ごめんなさい・・・だけど、
私の哲学としての構成は
この2つの円と自分の経験の重なった部分で成り立つている気がします。

なぜなら、
聖書で言っている「この意味はどういういみだろう?」
と、長年疑問だったことが、
エイブラハムの言葉で
「あ!こういうことか!」
と、腑に落ちることが多いからかもしれません。


新約聖書には福音書という章があり、
ヨハネによる福音書は次の言葉で幕を開けます。

初めに言葉があった。

言葉は神と共にあった。

言葉は神であった。

この言葉は、初めに神と共にあった。

万物は言葉によって成った。

成ったもので、言葉によらずに成ったものは何一つなかった。

                         ~新約聖書:ヨハネ福音書1:1~



この時の“言葉”というのはね。
単なる口から出る音としての言葉ではないと思っています。

聖書を訳す時に、1番適当な日本語が“言葉”だったのかもしれませんし、
もともと、記述した際に、
当時のボキャブラリーの中で“言葉”が適当とされたのかもしれません。

私流の解釈で言うと
この場合の言葉は、

思考・想念・イメージ・エネルギーを表しているんだと思っています。


“言葉”を“思考”に置き換えるとこうなります。

初めに思考があった。

思考は神と共にあった。

思考は神であった。

この思考は、初めに神と共にあった。

万物は思考によって成った。

成ったもので、思考によらずに成ったものは何一つなかった。

エイブラハムが言うように、
神=人間 とすると、
人間の思考(想念)が今の現実を作っているという解釈も
成り立って当然なんです。

面白いなって思うのが、
ざっくり言うと、
この世の中にあるものって
神が作ったか、人間が作ったものなんですよね。

例えば、今、目の前にあるパソコンって、
人間が作ったものですが、
パソコンって言葉(名前)が付く前に
誰かの頭の中に、デザインとしての思考(イメージ・想念)があったんですよね。

時計、ペン、はさみ、消しゴム、椅子、スリッパ・・・・
もうありとあらゆるものが人間の頭の中の思考(イメージ・想念)から現れたんですよ。

そう考えると、
私たちの日常もエイブラハムが言うように
自分が作り出し、現していると考えた方が自然な気がします。


聖書の天地創造の際の記述では、

初めに、神は天地を創造された。

地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、

神の霊が水の面を動いていた。

神は言われた「光あれ。」こうして、光があった。

神は光を見て「良し」とされた。


・・・・ということは、天地創造の時の神のように

「○○○あれ!」というと。○○○があった。
自分はそれを見て「よし♪」と満足した。

と、とっても単純に
自分の希望することに焦点を合わせ思考・イメージ(言葉)することで
いろんなことが上手く行く気がしてきます。


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